KuriKumaChan’s diary

Kuri ちゃんと Kuma ちゃんの飼い主の独り言

「受刑者にも適切な医療を!刑務所医療過誤事件」 - (2) 訴えの内容を見聞きして思ったこと、考えたこと

前回は「経験はないけれど、裁判というものを傍聴してみたい」という方向けに CALL4 の紹介と第一回公判の様子を中心にまとめましたが、今回は実際に訴えを見聞きした内容などをもとに自分が何を考えたのかを記録しておこうと思います。まだ裁判も始まったばかりですし、被告 (国) 側の反論内容もまだ提示される以前の段階です。 そんな状況ですが、ふと自分の頭をよぎった考えもあり、今の時点の頭の中を整理しておこうと思います。

この文章の内容は、「より多くの方に知って頂きたい」情報ではありませんし、読んでいただいた方に有益な情報でもないと思います。
自分の考えたことを単に日記に書いておくよりは、人の目に触れる可能性を意識して書いておく方が少しは整理できるかと考えました。
また、ある意味では原告に失礼にあたる表現も含みますが、それは状況を踏まえた一般論として捉えていただけれたらと思います。
さらに、ブログの紹介にも記載していますが、法律を体系的に学んだことの無い一般人の理解と認識に基づく文章とご理解ください。

裁判の方向性(素人考え)

つい最近まで刑務所等の医療におけるカルテの開示を本人が求めても拒まれていたそうです。しかし2021年の最高裁判決 (下記参照) により、今回の原告は A さんのカルテを入手することができ、証拠として提出予定であると第一回公判で説明していました。訴状を読む限り A さんの受けた対応は一般的な医療に遠い状況に置かれていたようですから、カルテを見れば原告主張が主張する「早期にセミノーマ(一種の精巣がん)と診断すべき適切な診察と、あるべき適切な治療が行われなかった」ということはかなりの程度裏付けられるのでしょう。そうなると A さんの場合は「早期に十分適切な医療は提供されなかった」という判決を得ることは十分現実的なもと思えます。
(もちろん損害賠償請求額が満額認められることは無いかもしれませんが。)

【本人の請求に対する最高裁判決】
日本弁護士連合会:東京拘置所のカルテ不開示を違法とした最高裁判所判決に関する会長声明
令和2年(行ヒ)第102号 情報不開示決定取消等請求事件 令和3年6月15日 第三小法廷判決

判決が出たら現状は改善するのか?

早期に和解をしたり、よほど国側が自らの非を認めない限り、期日を経ることにより刑務所医療の実態はさらに明らかになるのでしょう。 でもそうなって原告勝訴となったら、刑務所医療自体の改善につながるのでしょうか?

「一部は改善するかもしれないが、根本的に変えることは簡単では無いだろうな」
というのが曖昧ですが想像した印象です。

ウィシュマさん事件で明らかになった入管施設という立場の弱い人を扱い施設での被人道的な対応や、難民申請業務を行う難民審査参与員 (不認定者の不服申し立て先) の発言など、今まで実態が明らかにされてこなかった法務省業務において「弱い/制限された立場の人は劣悪な待遇で扱われる」ことがあるとわかってきました。

仮に A さんの事件が原告勝訴となっても、実は A さんの事例はたまたま酷い目にあったのではなく、弱い立場や制限された立場の人は程度の差はあれ似たような状況にあると考えたほうが良さそうです。

自分の頭に浮かんだ一つの考え

誤解を恐れず率直に書いてしまうと、
悪いことしたのだから、ある程度の不利益は仕方がないよね。」
という考えが頭をよぎりました。 亡くなった A さんは受刑者であったのですから、何かしらの犯罪を犯して刑務所に収容されていたのでしょう。しかも実刑を受けたということは決して軽微な犯罪ではなかったとも考えられます。そうした時に、上に書いたような言葉を耳にすることはありうると思います。もう亡くなって久しいですが、私の親などはそういう言葉を口にするタイプだったと思います。
(親の名誉のために付け加えますが、私の親だけがそういった考えを持っていたとは思いません。親たちは戦争を経験した世代ですが、そういった世代においては決して少数派では無いような気がします。)

また「悪いことしたのだから・・・」という言葉の裏側には、「正しい事をしていても十分な支援が受けられない人がいるかもしれない。」と言った考えがあるかもしれません。しかし冷静に考えれば、「刑を受けること自体が罰であり、適切な医療を受けられる権利とは別の話だ」、後者の言葉に対しては「もし十分な医療を受けられない人がいるのなら、その事自体を改善することを考えるべきだ」と反論すべきでしょう。

さらに浮かんだのは被害者感情。もし A さんの犯罪によって大きな被害を受けた人がいたとしたら、もしかしたら A さんに「ざまを見ろ。俺に被害を与えた天罰だ!」と言うかもしれません。それこそ A さんの犯罪を裁く場において被害者陳述を行っていたかもしれません。
もちろんこうした話は私の勝手な妄想ですが、仮に被害者にこのような意見があったとしても、それに対して反論すべきものではなく、そのまま受け止めるべきものなのでしょう。ただし被害者の意見と、今回の原告の訴えや受刑者全般が適切な医療を受けられるようにすべきという考えは別次元の話であって、そこで双方の意見をぶつけたり、どちらかのみが正しいとすべきものでは無いと思います。被害者感情は被害者が自由に考えたり主張できるものだし、加害者 (側) もそう言った考えを理解すべきでしょう。それとは別に受刑者医療は被害者の考えとは別にそれに左右される事なく議論されるべきこと、と考えるのが一番冷静で合理的なのではないか思いました。

法務省だけが悪いのではなく...

「被告国の責任を認める判決が出たら刑務所医療などが本質的に改善されるだろうか?」という話から脱線してしまいました。でも実は繋がっているのではないでしょうか。
日本では弱い立場の人や制限のある立場の人が、適切とは言えない対応を受けている原因は、もちろん監督官庁である法務省の問題が第一義的にあるのでしょうけれども、でも「それはダメだよ」という声をあげてこなかった、またそう言った状況を積極的に見ようとしてこなかった日本人一人ひとりに潜む意識の影響もあるのではないでしょうか。

マンデラの引用

ところで家に帰ってから文章をまとめるために CALL4 のケースページにある「基本情報」を読み直してみると同じような考えについて書いてありました。
当然傍聴に行く以前にこのページには目を通していたし、マンデラが高尚な言葉を残していることに「ほう」と思った記憶はあるのですが、内容はその際にはスルーしていたようです。

はじめに

「刑務所は苦しくて不自由であたりまえ」あなたもそう思っていませんか。

「受刑者ならどんなに苦しい思いをしてもかまわない」

「受刑者なら適切な医療を受けられなくても仕方ない」

「受刑者なら医療を受けられずに死に至っても仕方ない」

こうした考えについてはいかがでしょうか。 自分には関係ない、と、なかなか刑務所について考える機会はないかもしれません。
南アフリカ共和国のアパルトヘイト政策廃止に奔走したネルソン・マンデラは、こんな言葉を残しています。
- It is said that no one truly knows a nation until one has been inside its jails. A nation should not be judged by how it treats its highest citizens, but its lowest ones.
「こんな言葉がある。刑務所に入らずして、その国を真に理解することはできない。国は、どのように上流階級の市民を扱うかではなく、どのように下流階級を扱うかで判断されるべきだ。」
私たちの国の刑務所のあり方について、今一度立ち止まって一緒に考えてみませんか。

マンデラの引用文を読み返すと、「本当にそうなのだろうなぁ」と思います。自分にもゼロではないけれども「悪いことをしたのだから..」を強く持っていたわけではありませんが、今回日本の刑務所医療の実態の隅っこを垣間見たいま、実際に長期間投獄されていたマンデラの言葉に重みを感じます。


CALL4 を通じて知った A さんの事件。可能な限り裁判の経緯を見守っていきたいと思います。